辞書にはこう書いてある。「レッテル」とは、マークとして商品に貼り付ける札。
あなたは他人にレッテルを貼ったことはあるだろうか。きっと誰しも少なからず経験はあると思う。私の人生の中で、この「レッテルを貼る」のを実感するのは、仕事をしている時だ。
仕事ができる、できないのレッテルは1度貼られたら剥がせない。できない側に認定されると、常に目の敵のように扱われる。
私はできる側にもできない側にもまわったことがある。
できない側だと認定された時は、本当のことを話しても嘘だと決めつけられたこともある。何度もめげずに主張したが、「前習いにして、何も考えずにやったんだろ!」と言われた。
その時はたまたま、まだ悪い人ではなかったので、後から「自分の間違いだった。」と謝られたが、レッテルとは本当に怖いものだ。
だからこそ、常に自分はフラットな目で見たいと思っている。他の人のレッテルに紛らわされず、ありのままを見てその場で感じるようにしたい、と。
周りから仕事ができない、と言われている人でも、何もかもできないわけではなく、むしろ違った見方に助けられることもある。
ただ、レッテルを貼られやすいのは、もちろん仕事のできが関わっては来るが、反省の色が見えなかったり、人として可愛げがないと貼られやすい。
自分のことはよくわからないのに、人を見ていると、「あの人ああいう態度で損をしてるな」なんて感じたりもする。だが、過去に仕事ができないレッテルを貼られた私が偉そうに言うことでもないだろう。
反対に仕事ができると判断されてみて、気がついたことがある。それは、「仕事ができる人が同じミスをしても、できないレッテルを貼られた人との対応は雲泥の差」ということだ。
何度も言う。だからレッテルは怖いのだ。
世の中は不公平でアンフェアだ。それが社会なのだ。私達はそんな荒野に生きている。
だからこそ私は、レッテルに紛らわされず、自分の目で真実を確かめて生きていきたい。